あれは僕らが隋に行った後だった。
それなりにお互いの人となりがわかり、接し方もある程度定着してきた。そんなころ。
太子に仕事中でも休暇中でもちょっかい出されて、怒鳴り返しつつもなし崩しにあの人のペースに乗せられる。ありえないと感じつつも心地よかった、それが日常化していたあの日。
僕は太子に呼び出された。
もちろん、はじめてのことではない。
手紙、直接、人づて、電報。色んな方法で、どうでもいい用事で呼び出されたことなんて多数だった。
いつ仕事をしているのかわからないくらい暇人な太子は、朝っぱらから昼間さえも遊びほうけている。
だけどそのときは様子が違ったんだ。
それ以来僕の生活基盤自体が変わってしまった。
「妹子、今日うちに遊びに来いよ!」
「嫌ですよ面倒くさい。ただでさえ太子のせいで仕事終わってないんだから」
仕事に勤しもうとするとすぐにやってくるこの迷惑な上司のせいで、やるべき仕事が終わったためしがなかった。
妹子はいつも残りの仕事を家でこなしていた。
太子はその言葉を聞いて膨れるかと思いきや、返事がない。
「太子?」
「・・・よし、なら明日は終わらして、明日来い!それでいーだろ!こんなこと思いつくなんて私天才!」
「変なちょっかい入らなきゃ、楽に終わる量ですからね。いいですよ」
太子は「よし!約束だぞ芋妹子!」とか「妹子とお泊りー仲良し TO NIGHT♪」とか言い放ちつつ、とっとと帰ってしまった。
以前にも”ちょっかいを出さない”という問いに対して太子の首を縦に振らせたことはあるが、そんな約束どこへやら。翌日にはそのことはすっかり記憶になく、妹子をからかうことに余念がなかった。
どうせ今回もそんなもんだと気にもとめなかったのだが、どういうわけか本当にその日、太子を見かけることはあっても話しかけられることはなかった。
太子が絡んでくる前に少しでも終わらせておこうと急いだ仕事だ、日が傾く前には片付いてしまった。
もしかしなくてもこれ、太子のとこに行かなきゃいけないんだろうか。
・・・夜通し枕投げとか誘われたらやだなぁ。しかもその枕、ツナ詰まってたりして・・・気持ち悪い。
腐っても皇子の住まいに多少の緊張を覚えつつ、その皇子を思い出し現実にげんなりしつつ、妹子は出向いた。
「ん・・・・。た、太子・・・?何してるんですか」
適当にすごして月がのぼりきり、二人が灯を消していざ寝ようとしていたころ。
妹子にふれてきたのは、暗すぎてよく見えないが恐らく太子だ。
太子の部屋へと訪れた妹子は相変わらずこざっぱりした部屋と、目の前のうざい太子とのギャップに違和感を感じながらも普通に過ごしていた。
消灯の時刻が近づけば案の定、枕投げを要求してきたが妹子はそれを却下し、布団をしいて眠りについた。それだけだった。
なのに青ジャージの男は今、妹子の布団にもぐりこんできて何やらもぞもぞ動いている。
そういえば、今日はやけに枕投げをあきらめるのが早かったような気がする。
もしかしてまだ遊ぼうってのか?
勘弁してくれ。
明日も仕事が詰まっている。それはあんたも同じでしょう。
「ちょ、太子っ?何で開けてんですか・・・・!」
ジー、とおなじみになったジャージのチャック音が聞こえてきた。
人のじゃなくて自分のでも開けてろよ!夜中の寒い空気が肌にふれて、妹子はぶるりと身体をふるわせる。
太子の返事はない。
「寒いんですけど・・・寝かせてくださいよ」
「・・・」
「太子?」
顔に太子の生ぬるい息がかかる。
近い。
男、という情報が視覚的に入ってこないせいか変に鼓動が高鳴った。
無駄に近いですよ太子、そう言葉にする前に妹子の口は太子によってふさがれた。
やわらかくて、暖かくて、湿ってて、布とか指とかそういう可能性を廃棄してくれたそれは、唇なんだろう。
妹子が突きとばす前に唇は離れた。
「・・・・・・・・何するんですか」
妹子が思った以上に冷静だったのは、決して暗さのせいだけではない。
自分も太子もまごうことなき男だと理解はしていたし、むちゃくちゃな展開にそれを忘れていたなんてこともなかった。
それでも不思議と嫌悪感は心に浮かばなかった。
「欲求不満・・・ですか?それならほかにいるでしょう、僕は男だ。ぶつける相手間違えてませんか」
「うーん、間違ってはないつもりなんだがなぁ。駄目?」
いつもと同じ口調なのに、どことなく切羽つまったような声をしている太子。小さな灯りをつけて返事も聞かずにまた口を寄せてきた。
荒れた唇。さっきのキスとは違う。ヌルヌルとした生暖かい舌が、歯列をわって口内に入ってくる。
相手は男でおっさん、しかも太子だっていうのに、たいして嫌だとも思わなかった。
それどころか、
「はぁ、っ・・・」
「妹子」
巧い。
長く深いくちづけに息をつく間もなく、肌に指が触れてきた。
骨っぽく冷たい指はジャージをはぎとり、するすると妹子の上を這う。くすぐったさに身をよじった。
手をつかんで止めようと押し返すが、太子の指はおかまいなしに乳首をつまんでくる。妹子はヒュ、と息を呑んだ。
はっきりと気持ちいいとは感じない。
ただ、指に弄られるたびにむず痒いような痛いような感覚がはしり、じんじんと先端が赤く熟れていく。
わけがわからない!男がそんなとこに感じるわけがない。太子の行動の理由もわからない。
なんで僕がこんなことされなきゃいけないんだ。そもそもこんなのは女にするものだ。乳もない僕にしたって・・・!
指でいじる限界に気がついたのか、太子は胸の飾りに唇をよせてきた。
妹子が止める前にそれを口に含んだ。舌で遊んだり、軽く歯を立ててくる。
「っん・・・。や、やめてくださ・・・太子!」
太子がパッと顔をあげた。
妹子は止まってくれたことにほっと息をつき、この変な空気を変えることが出来たとさらに安心した。
「妹子が、どうしても嫌ならやめる」
「はぁ!?」
僕が嫌ならやめるって?嫌に決まってるじゃないか。
あんたの性欲処理に使われるなんてまっぴらゴメンだ!
「嫌ならはっきり行動に示してくれ。いつも以上に罵倒して、蹴り飛ばせ。それ以外は却下するぞ」
「そんなの・・・!」
嫌だっての!
ひょろい体を蹴りあげてやろうとしたとき、太子の背後に冠が見えた。机の上にちょこんとそれは置いてある。
彼が寝るときと風呂のとき以外はずすことのない紫のそれは、絶対的な地位の象徴だった。
目の前にいるのはアホ。だけど、それでも、神の子、聖徳太子。
大礼で五位の妹子なら、遣隋使ということがなければ対峙して話すことさえ許されない天子。
冠は、妹子にその事実を思い出させるには十分すぎるアイテムだった。
抵抗の止まった妹子をどう思ったのか、太子は行為を再開した。
気づくとジャージと下着は膝下までおろされており、妹子の性器は露出していた。半ば立ち気味だ。
「ちっちゃいな」
「・・・っうるさいな!自覚してんだから、人のコンプレックスをわざわざ言わんでくださいっ」
「大は小をかねるが、小は大をかねないんだぞ。いーじゃないか!」
「フォローになってねぇー!」
いつものような言い合いだ。内容は少々シモだが。
この雰囲気のおかげで冷静になった頭で今の状況を説明すると、妹子は押し倒されたような状態で、かつほぼ無着衣だ。
太子はきっちり着込んでいるのに、情けないことこの上ない。
この状態を打破すべく、妹子がとった行動は少々おかしかった、がそれ以外に選びようもなかったような気もする。
「・・・なんであんただけ服着てるんですか」
「妹子恥ずかしい?じゃー私も脱いじゃおうかなー」
そう言って太子は妹子の首筋にキスをひとつ落とし、いそいそと脱いだ。
それは無駄にでかかった。
太子の妙に細くて白い体が暗闇に映える。逆に生々しくて恥ずかしさが増したかもしれない、変に太子を意識してしまう。
脱ぎ終わってから、すぐに太子の指は下のほうに降りてきた。
直接妹子のソレを触られて、ひゃ、と甘ったるい声があがる。
太子は片手でつつめるサイズのそれを上下に弄んだ、強く、弱く、絶妙な力加減で。先端からトロリと透明な液が溢れだす。
頭の中が痺れてきたのがわかった。
「んっ・・・太子・・・そこっ、駄目です!やめて・・・」
「ねぇ、気持ちいい?」
「そんなわけ、あるかっ・・・、ぁ・・・・・バカ太子っ・・・」
「む。妹子は口が悪い上に素直じゃないなぁ」
太子はおもむろにキツく閉ざされた蕾に触れた。妹子はビクりと震える。
大丈夫、こんなの慣れてるよな小野妹子。
宮廷内は太子の冠位十二階のおかげで実力主義にはなったが、未だに家柄ですがりついているものが圧倒的に多かった。
当然政には女は参加できず、当然宮廷はどこをみても髭だのシワだのデブだののオンパレード。
そんな中、20代前半という若さで大礼までのぼりつめた貴族でもない妹子の存在は、そういう意味でひどく貴重だった。
何回求められたのか、何人に辱めを受けたかなんて覚えていない。
一心に出世だけを望んでいた妹子に拒絶という選択肢は用意されてなかった。
慣れている。自分は女とは違う。体を奪われることにたいした意味はない。それはこれからも変わらない。
ただ、太子も同じだった、それだけだ。
太子は二本の指を唾液で濡らし、そっと妹子の入口に塗り付けて、一本がゆっくりと侵入してきた。
こまやかな動きをしながら徐々に深く埋もれていくのがわかる。
何度やってもこの感覚は慣れない。気持ち悪い。便が逆流しているかのような感覚で、下手したら吐き気をもよおすレベルだ。
いつの間にか太子は、妹子の息子のほうも開いたもう片方の手で弄りはじめた。
「ひっ・・・?太子、どっちかにして、下さ・・・っん」
痛いのと気持ち悪いのと気持ちいいのが混ざってわけがわからなくなる。
入る指が二本に増えた。きつい。くにくにと曲がり、深く浅く出入りを繰り返しながらバラバラに動く。
自分にささっている指に意識をやらないことに必死な妹子を、ふいに強い快感が襲った。体がはねる。
「・・・ひぁっ・・・や、あっん!」
「あ、妹子ここがいいんだ?」
いたずらの対象を見つけたような太子の声に、反論しようと思うけれど自身の喘ぎに邪魔されてしまう。
そこに指が触れるたびに、電流が走ったように体中に快感がちらばる。
内部でデタラメに動いているかのようなのに、的確にいいところを突いてきていた。
声を出したくないと思っても叶わず、無意識に腰は太子の指を求めて動き、痛いくらいの快感が妹子を追いつめる。
すでに太子は前に触れていないのに、それは限界まで立ちあがり大粒をこぼしていた。
そろそろ妹子が達しそうになったとき、指は卑猥な音を立ててひきぬかれた。
「・・・入れていい?妹子」
「は・・・、入れるなって言ったらやめてくれるんですか、あんたは」
最後の抵抗といったばかりに吐いた言葉に、太子は顔をくしゃりと崩した。
いきりたった赤黒い自身が妹子の穴にあてがわれる。耳元に顔を近づけて低い声でささやいた。
「ごめん・・・無理」
息が荒く、切なそうに聞こえる。反則だそんな声。
ずぶりと、妹子を抱きながら腰をうずめた。
「好きだよ、妹子」
うそつけ。
男が男にはたらく感情に恋、なんてありゃしない。
ましてや美形でも、優しいわけでもない、若いだけがとりえの男相手なんてありえるわけないじゃないか。
多分、だけど。女が面倒になったんじゃないか。
大徳なんて位じゃ、あんなアホ面でも寄ってくる女は星の数ほどいるだろう、大徳との子供が欲しくて。
太子にとっては只の処理でも、子供ができたと嘘を吐く女もいるだろうし、実際にできもする。
太子がなにかしらの理由で子をなしたくなければ、それはわずらわしいだけ。
その点、男相手なら便利だ。
子ができるわけないし、恋愛沙汰にもなることもない。秘密めいたことだから他への影響もほとんどないから。
僕が、太子とよく言いあっているのも要因の一つかもしれない。
ああ見えて太子は根本的には優しい(と思う)から。
太子の地位や役職に怖気づかずにNOと言う僕なら無理しないだろう、なんて考えてんのかもしれない。
好き、なんて妄言は僕への同情かな。
一方的なものなら、好きで抱くのも欲望のままに抱くのもそう変わらないのに、バカな太子。
慣れてるから、そんなに傷ついたりしないんですよ。
太子に抱かれた翌朝、そんなことを考えた。
半年たった今でも、何度もくりかえし思い返している。
奴の「好き」なんて妄言、ただの同情でしかない。
そうでもしなきゃ、勘違いしてしまいそうだ。僕は太子を恋愛感情として想っている。
当時の僕も彼を好きだったのかもしれないけれど、今ははっきりしてる。好きだ。
時々どうしようもなくなるほど、その肌を求めてしまう。
若さゆえか熱情にかられやすい僕を、太子はいつも受け入れてくれる。先に求めたのはあなただから。
面倒なだけのこの想いを知れば、太子は離れていくだろう。
慰みの身体でも空の言葉でも、手放すのは嫌だ。そばにいたい。女みたいだ、みっともない。それくらいは理解してる。
それでも僕は奴が好きだ。
週一程のペースで太子は妹子を呼びつけた。
時には妹子から行くこともあったが、大体このペースを保っていた。
「妹子妹子、今日うち来いよ」
「いやですよ」
耳打ちしてきた太子が、目尻にちょっぴり涙をうかべつつ気持ち悪い顔ですがりついてくる。
「おいおい妹子、ちょっとは躊躇しろよこんちくしょー!寂しいだろ!?っていうか来るよな?」
「どうせ摂政命令なんでしょうが。仕方がないですから行きますよもう」
「く・・・、五位の分際でなんつー態度だ」
太子のでかいのが妹子の中に入り、脈うっている。それはゆるゆると緩急つけて前後運動を繰り返した。
「妹子、これホントに仕方ないとか思って、る?」
「はぁっ・・・そりゃ、太子の相手、僕ぐらいしか・・・ん、やってられないでしょ・・・あぁ!」
どうせなら終わって話せよこの阿呆!
息が平常時ではありえないほどに荒れ、声もあげずにはいられない状況では喋ることさえままならない。
話してる最中も止まりやがらない太子は、息が多少乱れちゃいるけれど話せる余裕はあるってことだろう。あーむかつく。
くすり、と苦笑して妹子を抱きしめ、唇を重ねてきた。
「好きだ」
「・・・僕はキライです、からっ」
「もー!素直じゃないな!いいよ、私は好きだから!」
好き。
そう太子がつむぐたび、僕も、と溢れだしそうになる。
その音を出さないように出さないようにと、僕はどうにか正反対の言葉を吐きだす。
空の言葉なんていらないと何度思っただろうか。それなのに奴は飽きず、ずっとそれをはじき出す。
もう限界だよ、アホ太子。
嘘っぱちな好きを受け止めるのも押し流すのにも、もう疲れた。
--side太子--
最近妹子を見かけない。
もちろん、見かけない時期が今までまったくなかったかというとそれはない。妹子も人であり、ごくまれだが休みを取ったり、仕事で出ることはたびたびあった。
故にたいして気にしてはいなかった。繋がった夜以来彼の姿を目にしてなくても。
だから、その言葉が太子の耳に入ったのはすごい偶然だっだ。
「・・・妹子じゃないと反応がいまいちだな」
アホなことをやっても止めはすれ、突っ込んだり盛大なリアクションをとってくれる人がいないとつまらない。
そんなことを久しぶりに実感した太子のつぶやきに返事があった。
「そういえば妹子殿がやめたのって、なんでですかねー」
太子、ご存知です?とたずねてきた世話人にすばらしくまぬけな顔を見せてしまったと思う。
それだけその言葉に驚いたのだ。
「やめた!?なんで!」
「し、知りませんが・・・。馬子さまならご存知かも・・・太子、どちらへ!?」
馬子さんが居るのは、執務室!
どうして?何故だ。
やめた?宮廷を?
あそこまで仕事人間な妹子がやめたらどうなるんだ。
その上妹子のような地方出身が中央から出戻ったら針のむしろになるに決まってる。そんな中戻るなんて相当の覚悟がいるはずだ。
それなのに、
何か悩んでた?
セックスが嫌だったんだろうか。そういえばいつもキライだの嫌だのしか聞いていない。
でも最初のとき、私を蹴り飛ばさなかったし。
あれをはじめても普段の関係は何も変わりなかった。それは私の望んだところでもあった。
それが嫌だった?もしそうなら、皆の前で宣言してやってもいい。妹子と私はラブラブだと。
だって妹子は私を想っていてくれたはずだ!
妹子が私の想いを信じてくれまいと、言葉にしてくれなくても、妹子は私が好きで、私は妹子が好きなんだ。
それなのに離れるなんて許さんぞ!私は摂政なんだからな!
--side妹子--
妹子が実家の近江に帰ってから1週間。
太子から離れたらずっと楽になるだろうと思っていたが、それは杞憂だったらしい。
そりゃあ本人が目の前に居ないだけでいくらか気が楽だったりはするけれど、妹子が暇だったのがいただけなかった。
いきなり実家に戻ってきて仕事という仕事があるわけでもなく(人並みにはあるのだが、太子のおかげで妹子の中央での仕事の量はすさまじかったせいで暇に感じて)、ぼーっと過ごす時間が増えた。
なにかしら動いていないと脳内に浮かんでくるのは太子ばかり。女々しすぎる自分の思考に呆れまくった。
武道かなにかやろうかな。
否応無しにうかんでくるあのアホを振り払えるかもしれない。
前にやったのをもう一度やりなおすのもいいし、新しいものを学んでもいい。運動すれば疲れて夜もすぐ床につけるだろう。
とにかく何かしないと、親兄弟からみて自分はずいぶん憔悴しているらしいから。
妹子は縁側で、さほど広くないが手入れのいきとどいた庭を眺めながら、そんなことを考えていた。
ここはすごく安らげる場所だ。
今は母屋のほうが少々騒がしいが気になるほどじゃない。妹子が宮廷にいたときはこんな時間を取れたこともなかった。
主にあのジャージのせいだよな・・・。
仕事はしないしアホなことばっかりやるし、人の仕事は邪魔するし、かとおもえば偉そうにするし。
すぐ落ち込むし、カレー臭いし。まったく、いいとこ一個もないんだなあの人。
いけない、また太子のこと考えてる。
なんなんだあのおっさん、僕の思考に入ってくるなよ。
「妹子!帰るぞ!」
何変なこといってんですか、僕の帰る場所ってのはここですよ。
人の空想にまで入ってきて勝手に喋るんじゃない。
「ご両親の許可ぶんどったからな、無理矢理にでもつれて帰るぞ」
ぶんどったってなんだよ、人の両親に対してぶんどったって。
ていうか僕の意思完全無視ですか?
「妹子」
なんだよもううるさいな。黙ってろ幻聴。
途端にふわりとカレーの臭いがして、妹子は後ろからそっと抱きしめられた。
ここに太子がいることは妹子の頭じゃ全く理解できなかったが、身体にまわされている腕はまごうことなき青のジャージだった。
「ほん、もの?」
「妹子・・・帰ろう?」
なによりこの誰にもまねできないであろう体臭が、太子の存在をしらしめていた。
こくりとうなづいてしまいそうな自分をどうにか踏みとどまらせる。
戻ったら繰り返される。
「嫌、です。僕はこの地こに骨埋める予定ですから」
「いや別に骨はいいけど」
「・・・。とにかく、再び宮廷仕えをさせてもらうつもりはありません」
「どうしてだい?」
どうしてと、それをあなたが問うのか。
それもそうだ。僕があれを受け入れ、許容してきたのだから。さもそれが当然であるかのように。
「妹子、理由くらい摂政たる私に言え」
摂政だから言えないんです。
何回ただのアホであればと請うたことか。それでもただのアホじゃないこの人が好きなんだからどうしようもなかった。
「妹子、」
横に並ぶに足る人間になりたいと、何度願ったか。
「言葉にしてくれないとわからないよ。言って」
この人は、神の子。
そばにいるのに、いくら手を伸ばしても届きはしない。
「私とするの、嫌だった?」
「・・・っ」
太子はあの行為に愛なんて求めちゃいない。
それなのに、
「私が、嫌い?」
「好きです」
この想いは離れても消えてくれないんだ。
「臭くてもおっさんでもアホでも、好きだよ!大好きだ!これだけ言わせれば満足ですか・・・っ!」
ひっく、と妹子の嗚咽が漏れた。
同時に自分を包んでいた体が離れた。
性欲処理っていうのはお互いに恋愛感情がなく、かつ相手の身体を求めていないと成立しない。
妹子と太子の間で、これがいままで成り立っていたほうがおかしかったのだ。
これで太子は離れていくだろう。良かった。
ぼやけている視界に、青空が見えた気がした。
次の瞬間、何かが妹子を抱きしめた。人は太子しかいなかった。
「妹子が信じてくれない理由はなんとなくわかる。けど、私も妹子が好きだよ。信じてくれ」
今度は正面から抱きしめられていた。
愛してる、太子はそう囁いてぎゅっと強くだきしめ、妹子にくちづける。
妹子は嗚咽どころじゃないくらい泣いた。
--後日。
もういいや、迎えに来てくれて、抱きしめてくれただけで。
(どれだけ乙女思考なんだよ僕は)
中央に戻ると、妹子はすぐにもとの大礼に戻された。なんでも太子が馬子さまに取り計らっていてくれたらしいのだ。
格下げは確実だろうと思っていたのに、予想外なほどいままでどおりの環境にホクホクしていた。
戻って数日もたっていないとき、定例集会に妹子は呼ばれた。
遣隋使に任命されたときと帰国報告の際に二度ほど参加した覚えがあるが、冠位1,2位のものが参加する会であるはずだった。
なぜ自分が呼ばれたかもわからず妹子は向かい、末席に座っていた。重役だらけのなか、若造一人とはなかなか厳しい空気である。
もちろん正装だが太子はジャージだった。
だがすこし表情が真剣だ。
珍しいものが見れた、そんなことを緊張しつつも考え(会議内容はほとんど5位の妹子には関係のないものだったから)会議の流れに身をまかせていると、休憩中に突然太子が立ち上がった。
奇怪な太子の行動に皆慣れているのか、さして反応もない。
そして何故かこちらに向かってきた。
太子は僕の横に立ち、妹子の手をつかんでまっすぐ上に持ちあげる。
「注目!」
「た、太子?」
談笑していた重役たちの視線が、一斉に二人に向いた。さすがは仮にも聖徳太子。
こうやって注目の的となることが少ない妹子は、どうしてよいかわからなくなり慌てて顔を下げた。
上げている手を降ろそうとしても、結構な力で捕らえられていて外れない。
妹子が外そうともがいているうちに太子がとんでもないことを口にした。
「大礼五位、小野妹子!私の恋人だ。手ぇ出したら許さんから、そゆことで!」
総ポカンしたことは言うまでもなく、これもまた言うまでもないことだが妹子の顔はジャージ並みに染まっていた。